Kindle版「江藤淳全集」第6巻『批評と私』と第7巻『なつかしい本の話』は本日発売です。
編集を担当されている風元正さんより「編集子独言」が届きました。ぜひご一読ください。
「江藤淳全集」はこれからも続きます。
編集子独言 2022・9・21
今日21日は江藤さんの月命日。kindle版全集の第3回配本日でもあります。
今回配本の第7巻『なつかしい本の話』の冒頭、江藤さんはこう書いています。
「本というものは、ただ活字を印刷した紙を綴じて製本してあればよい、というものではない。/つまり、それは、活字だけででき上っているものではない。沈黙が、しばしば饒舌よりも雄弁であるように、ページを開く前の書物が、すでに湧き上る泉のような言葉をあふれさせていることがある。その意味で、本は、むしろ佇んでいるひとりの人間に似ているのである」
装幀や本の汚れなどの感触までを含んだモノが「本」である、という信念が高らかに披露されています。それゆえ、電子版全集にどうにも落ち着かない心地になっていました。また、江藤淳に馴染みのある世代の方々からはkindleは使いにくいという切実な声が届き、1年ほどかけて準備した事業にじわじわ倦怠が忍びこんできていました。
ところが、ふっと気づくと、今私の手元で作業している分も含めると、手軽に読める『成熟と喪失』や『夏目漱石』のような代表作以外の、編集サイドがぜひ読んで欲しかった1950年代の天才的な輝きを放つ名編や、個性的なエッセイがいつの間にかラインナップに揃ってしまったのです! そして、たとえ紙版の全集が出せたとしても、昨今の出版事情やご本人の構想からすると巻数はそう多くできず、現在われわれがkindleで世に出しているテキストの半分以上は割愛せざるを得ない状況でもありました。
私は40年近く紙の本に関わっており、その良さにどっぷり漬かっています。正直、江藤さんと同じことを言いたいし、モノとしての質感がないのは寂しい。同時に、電子出版の優秀さについて、3カ月やってみて、突如として気づいたのです。とにかく軽快でスマホで拾い読みもできる。紙の本ならば、たった3人ばかりのスタッフで月2冊というペースでは出せないというお家の内情もあります。電子馴れしていない世代の「責任」編集者・平山周吉さんも、「知のデータベース」という言葉を無理やりひねり出していましたが(笑)、どうやら正しい形容という気がしてきました。
「江藤淳の膨大な仕事。その日付が即ち戦後史である。全集なくして戦後史なし」という、片山杜秀さんの推薦文も示唆深いです。一字一句江藤淳の文章を細かく追う作業を続けている私は、自分が生まれてからすぐの日本の歴史を追体験し、認識し直しています。江藤淳という人はフェアなので、ものすごく正確に時代が見えます。こんな役得があるとは、思いもよりませんでした。
平山さんなどの少数の例外を除き、江藤さんの真の全貌を知る人は現在ほとんどいません。小林秀雄のような一貫した歩みではなく、「戦後」の紆余曲折を全身で表現しているような人ですから、ついてゆくだけで大変です。でも、倦まずたゆまず、続けてゆきます。
みなさま、引き続き宜しくお願い致します!
風元 正
Kindle版 江藤淳全集
全巻1,200円(税込)
Amazon内Kindleショップにて発売中
《江藤淳は、未来の批評家だった。》
――たったひとり、「戦後」の虚構性に挑みつづけた批評家の思考は、今も生々しく同時代日本を照らし出している。
ラディカルな批判精神を貫いた稀有な精神の軌跡に新たな光を当てる画期的な電子版全集!
第6巻『批評と私』
爆弾論文「ユダの季節」が巻頭に収められた当世言論人気質告発の書。「保守文化人」としての確固たるポジションにいる江藤淳らしからぬスキャンダラスな批評文は「週刊文春」で特集された。友達をなくし、仲間を失い、言論の場が狭まることも承知の上での仕掛け。孤独で、孤高な批評家の肉声がこだまする。昭和58年3月1日に逝去した小林秀雄への真摯な追悼が心を打つ。「みんな敵がいい」
第7巻『なつかしい本の話』
江藤淳はなぜ江藤淳たり得たのか? デュマ『モンテ・クリスト伯』、『谷崎潤一郎集』、ゲーテ『若きヱルテルの悲み』、井伏鱒二『まげもの』、伊東静雄『反響』、チェーホフ『退屈な話』……自らの読書遍歴から語られる「告白的」心の遍歴。戦中に少年期をすごした人の豊かさと傷が生々しい。本人も隠しておきたかったかもしれぬ「秘密」が赤裸々に語られている、埋もれた代表作。