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『MADE IN YAMATO』5人の監督へのインタビュー
2022.04.12

5/28(土)より公開する『MADE IN YAMATO』に参加する監督たち(山本英、冨永昌敬、竹内里紗、宮崎大祐、清原唯)へのインタビューです。作品がつくられた経緯、ロケーション、大和市、などについて伺いました。

 

<監督インタビュー>

 

ー企画のはじまりー

 

ぼくのホームタウンである神奈川県大和市では毎年春にヤマト映画祭、そして夏にこども映画教室を開催していて、ぼくは作品選定や審査員、あるいは講師として参加しているのですが、ここ数年はコロナ禍によって開催が出来ずにいました。そんな中、代わりになる映画事業はないだろうかとイベント観光協会の方々とお話ししている中で出てきた企画です。
また、外国の映画制作者に会うたびに、彼らがお互いにプロデュースしたり協力して作品を外に出して行く様子をうらやましく思っていました。その国の映画業界が小さいがゆえに出来ることなのかもしれませんが、映画文化が世界的に窮地に立たされている昨今においては日本でもそうした小さなコミュニティを作っていくことが必要なのではないかという意識が高まってきた中でこども映画教室の話をいただきました。そこで講師としてお声がけした、作品やこころざしにおいてぼくが尊敬できる方々がこの企画の大きな礎になっています。少しおこがましいかもしれませんが、そういう監督たちの作品を外に出して行く、しっかりとコンテクストを作っていくというのも本企画の大きな狙いではあります。この調子で第2弾、第3弾とあるといいですね。
(宮崎大祐)

 

ーロケーションー

 

市役所のような限定されたパブリックな場所を撮影したいというのは以前からありました。誰でも出入りできる場所なので全体としては誰しもがどういう場所なのか捉えることができているけれど、それをちょっと拡大するとどうなんだろうと思っていたからです。ただ職員の方に自分について話してもらうというのはとてもやりづらいのではないかと思い、自分ではなく主に他者(太田さん)について話してもらっています。他者の話だと自分のことより主観で話しやすいと思ったからです。そういった話の中に個人が見えてくるといいなと思っていました。そしてその語られた他者(太田さん)自身を撮影するにはそこを抜け出て別のパブリックな場所を選んだ方がいいと思い、後半では自由度の高い公園を選んでいます。また同じパブリックな空間ではありますが話せることやそれに伴う行動は全く変わっていて、その変化を見つけていきたいなという風に撮影していきました。
(山本英)

 

はじめて足を踏み入れた瞬間、ここをお借りしたいと思いました。膨大な夜景の写真に埋め尽くされた店は悪だくみに熱心な男たちの巣にピッタリで、魔都のコピーをかき集めたかのような幻惑的な内装には大いに刺激を受けました。
(冨永昌敬)

 

元々まき絵は図書館司書の設定でしたが、ロケハンで行った市立のスポーツセンターが面白い場所だったので、スポーツセンターの清掃員に書きかえることにしました。多くの人が運動をしにやってきては去っていく、通り過ぎていってしまう中で、まき絵だけはこの広大な空間で掃除という運動を繰り返しているという姿が浮かびました。見慣れた景色の隙間に見落としてきたものを発見した時、新しい地図が自分の中に立ち上がるということは今回描きたかったことの一つでもありますが、その始まりにもピッタリな場所だと思いました。川に関しては、シナハンをかねて散歩をしたり、地図上で大和市を縦断し横浜市との市境になっている姿を俯瞰していた中で、これに沿って歩いていく姿が自然と浮かんできていました。正直どうしてかはわからないのですが、まき絵が歩き続ける姿を撮りたかったのだと思います。
(竹内里紗)

 

あの店はうちと基地の間にある格納庫のような不思議なレストランで、いつか撮影したいと思っていました。『ジュラシックパーク』などで使ったアメリカの恐竜の実物大模型を数億円かけて買い取ったと聞きました。その他のロケーションはほとんどがぼくの散歩道にある場所です。特段面白味を感じないような平凡な場所や景色に眠っている、ぼくが見えていない何かがカメラに写らないかなと思って撮っておりました。
(宮崎大祐)

 

最初のロケハンに行った際、新幹線の線路が街を横断しているのがとても印象的だと思いました。ゆっくりとした時間の流れる郊外の住宅街の中に、突然ものすごい速さで通り過ぎて行く新幹線は、あきらかに街の速度とは異質なものでした。それと同時に、新幹線に乗る側にとっては一瞬で通り過ぎる風景のひとつひとつにも、誰かの生活があることにも気がつきました。
そんな誰かの生活について思いめぐらせるうちに、自分たちの生活とちがう速度とともに街に暮らしているひとが、バイクのような、街のなかで自分の身体で実感できる速さに出会ったら、という考えが浮かんできました。ほかにも、自転車や徒歩など、さまざまな異なる速度が登場しますが、それらが音楽のようにリズムを刻んでいかないだろうか、とも思っていました。
ロケーションについては、空き地や川の中州など、街のなかでも明確に使いかたが決められていない場所を選びました。行き場のない気持ちを抱えた主人公ふたりがたたずむために、そのような場所が必要なのではないかと思ったからです。
(清原唯)

 

ー大和市についてー

 

僕の中で特に印象的だったのは交通量の多さです。僕が撮影した泉の森という公園はとても広いのですが、すぐ側を246が通っていて、どんなに公園の奥に行っても自動車の音が聞こえてきます。また市役所周辺も道路に囲まれていて日中はすごく混み合っています。246を通り過ぎていく道路とするならば、市役所周辺の道路は留まる道路なのかと思いました。そのコントラストは他にあまりないように思います。僕は広島出身なのですが、広島には通り過ぎていく道路はあれど留まる道路はほとんどありません。一番留まる道路は新幹線の乗り口に続く道です。それは新幹線に乗り、通り過ぎていくために留まっています。結果の結果、通り過ぎる人が多いのです。僕もその中の一人です。
そんなことを考えながら大和市の道路で僕はよく留まっていました。きっと多くの方が大和市にいることを選んでいるのだと思います。
(山本英)

 

まだよくわかりませんが、大和の近くに住んでいるので、図書館をよく利用しています。
(冨永昌敬)

 

私は大和市の隣の市、藤沢市で生まれ育ちました。隣駅はもう大和市という市境に住んでいたので、行動圏内でもありましたし、散歩をしていて知らないうちに足を踏み入れていたこともあったと思います。どちらかというと曖昧に地元であるという認識だったところに「大和市」という視点が生まれ、改めて色々な場所や文化を知っていくうちに、こんなに近くに自分の知らない街の姿があったことに驚きました。そして、同時に、その「大和市」と私が生まれ育った市が地続きであることも強く意識するようになりました。私にとって大和市は一番近くの他人、兄弟のような気持ちを感じています。
(竹内里紗)

 

紀州や大瀬といった文学的で固有の場所に憧れながら、大和というお世辞にも特徴的ではない場所をどうにか映画にできないかとあがいてきたぼくは、固有の場所としての「大和」というものへの幻想を捨て、世界のどこにでもあって、誰もがアクセス可能な場所「ヤマト」を逆手にとって創作をつづけてきました。今回はそうした平板化、均質化した「ヤマト」に、他なる存在やモノ、秩序がつぎつぎと押し入ってくるようなイメージでした。まったく関係ないもの同士がまったく関係なく存在している時間というか。結果、撮影の過程でぼく自身がそうした思想や生き様への信を試されることになりました。人間はすぐに関係したがりますから。映画作りは人生に返ってくる、人生は映画作りに返っていくと今回も実感した次第です。
(宮崎大祐)

 

子どもの頃に大和にあった大きなユザワヤに行った以来、こども映画教室に講師として参加するまで、訪れたことがありませんでした。こども映画教室が終わったあと、講師陣で夜の大和駅の周りを歩いたのですが、子どもの頃の印象とはまったく違う、米軍基地の影響を直接的に感じる独特の街の雰囲気におどろきました。
今回のロケハンのためにも、大和のさまざまな場所を回りましたが、いちょう団地や、米軍基地のちかくなど異文化と共生している場所も多く、多様性に富んだ街という側面も感じた一方で、日本のあちこちにある平均的な郊外の雰囲気も感じました。大和の街は、郊外で育った自分にとっては馴染みのあるのどかな空気と、そのすぐ隣に異文化や謎をはらんだ繁華街がある感じに、個人的にはとてもスリルを感じます。
(清原唯)

 

 

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